Ⅰ 視察日程並びに視察先
1.2017年1月30日(月)
(1)札幌市「北海道議会」:「北海道におけるスポーツ振興施策について」レクテャーと意見交換
2.2017年1月31日(火)
(1)札幌市「札幌ドーム」視察
(2)洞爺湖町「洞爺湖観光情報センター」
- ①「NPO法人洞爺にぎわいネットワーク」レクテャーと意見交換
- ②「G8洞爺湖サミット記念館」視察
- ③「洞爺湖有珠山ジオパーク資料館」視察
3. 2017年2月1日(水)
(1) 壮瞥町「道の駅そうべつ情報館i(アイ)」
- ①壮瞥町「スポーツ振興によるまちづくり」レクチャーと意見交換
- ②「火山防災学び館」視察
- ③農産物直売所視察
Ⅱ 視察目的
「2019ラグビーワールドカップ日本大会」、「2020東京五輪」を控え、各都道府県並びに全国の自治体では、外国選手団のキャンプ地誘致をはじめ、スポーツ振興を通じた街づくりや活性化に取り組むなど、自治体間の競争も激しさを増し、独自の施策作りが必要となっています。
福岡県でも、県挙げて外国選手団のキャンプ地誘致に取り組んでおり、県内各自治体との連携はもとより、県内自治体のスポーツ振興を通じた街づくりを支援しています。
そのため、先進的・先駆的取り組みを行っている全国の都道府県や市町村を視察し、参考となる取り組み、良いところを本県の施策に活かすため視察を行いました。
Ⅲ 視察報告
1.札幌市「北海道議会」
最初の視察地は、「北海道議会」でした。
(1)当日の対応者
- 北海道議会事務局 次長 高間 学
- 北海道環境生活部 文化・スポーツ局 オリンピック・パラリンピック連携室
主幹 井上 規之
主査 長岡 広之
主任 辻 寛之
- 同 オリパラ連携グループ 主査 宮本 哲也
(2)北海道のスポーツ振興についてレクテャーと意見交換
「北海道議会」会議室でレクテャーを受ける 北海道では、2008年に「第二次北海道スポーツ振興計画」を策定し、スポーツの振興に取り組んでいます。その後、2011年6月に国の「スポーツ基本法」制定に基づき、この法を参酌し、北海道の実情に即した「スポーツ振興計画」として見直し、実施されています。
また、この計画は、「新・北海道総合計画(北の未来を拓くビジョンと戦略)」の個別計画に位置づけられています。
北海道のこの計画は、「スポーツの力」をキーワードとし、様々な取組を通して、人づくり・地域づくりを進め、活力ある「スポーツ王国北海道」の実現をめざすとしています。
そのため、スポーツを通して健康で心豊かな人材を育成し、潤いと活力ある地域づくりをしていくためには、スポーツが人々にとって身近なものとして普及・定着するとともに、地域スポーツクラブ、学校、地方公共団体、スポーツ団体、企業などが組織の枠を超えて連携し、トップスポーツと地域スポーツをつなぐ人材の好循環が生み出されることが重要としています。
実際にスポーツを「する人」だけでなく、トップレベルの競技大会やプロスポーツの観戦など、スポーツを「観る人」、そして指導者やスポーツボランティアといったスポーツを「支える(育てる)人」に着目した取組を進めることが大切としています。
そして、この計画は、2013年度から概ね5年間を計画期間としています。その推進状況は「北海道スポーツ推進審議会」に報告され、審議会の意見等を踏まえ、計画の効果的な推進に努めています。
また、本計画については、社会状況の変化や国のスポーツ基本計画、「新・北海道総合計画」の改定等を踏まえ、必要に応じ見直しが行なわれています。
今回、「2019ラグビーワールドカップ日本大会」、「2020東京五輪」に向けた北海道スポーツ振興については、以下の大きな4点があると説明されました。
- 「2019ラグビーワールドカップ日本大会」の取り組み 関連事業費3,500万円/年
- 「スポーツフォートゥモローコンソーシアム」の取り組み 関連事業費 150万円/年
- 「北海道タレントアスリート発掘・育成事業」の取り組み 関連事業費1,000万円/年
- 「スポーツ外交」の取り組み 関連事業費 200万円/年
(3)「北海道議会」視察
「北海道議会」本会議場 そして、レクテャー並びに意見交換の後、「北海道議会」を視察しました。
北海道の歴史は、明治の時代にさかのぼります。
明治政府は、北海道の開発経営を国策として行うために、1869(明治2)年に開拓使を設置。その後、変遷を経て、1886(明治19)年に今日の北海道の原形となる「北海道庁」が設けられました。
「旧北海道庁」 1878(明治11)年に『三新法』(府県会規則、地方税規則、郡区町村編制法)が定められ、翌年から施行されましたが、北海道では未だ開発途上にあったことなどから、府県会規則は適用されず、議会の開設は認められませんでした。
1889(明治22)年に『大日本帝国憲法』が発布され、帝国議会の開設と並行して府県制、市町村制等の地方制度は適用されず、依然として議会開設の道は閉ざされていました。
明治中期から北海道の開発も本格化し、人口は1890(明治23)年の42万7千人から10年後の1900(明治33)年には98万5千人へと激増しました。こうしためざましい経済発展などを背景とし、議会開設の運動が実り、1901(明治34)年3月に「北海道会法」と「北海道地方費法」が公布さ、北海道にもようやく議会が設置されることになりましたが、その権限は府県会より狭く、制限されたものでした。同年8月10日、初めての北海道会議員選挙が行われました。当時の有権者数は12,635人、議員定数は35人、任期は3年でした。
戦後間もない1946(昭和21)年に、府県制などの地方自治制度の改正が行われるとともに、「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止され、これにより府県制は「道府県制」となり、北海道にも府県と同一の法律が適用され、府県と制度上の区別がなくなりました。
翌1947(昭和22)年5月に、『日本国憲法』の施行と併せて「地方自治法」が施行され、北海道庁は北海道に、北海道会は北海道議会に改められました。
1947(昭和22)年4月30日、戦後初めての北海道議会議員選挙が実施され、定数81の議席を232人が争う大激戦となりました。
1951(昭和26)年2月23日、「北海道議会開設50年」と議事堂落成の記念式典が行われ、新議場(現在の議場)の使用が開始されました。
(4)まとめ
北海道の人口は538万3,579人(2015年国勢調査)で、人口減少が続いています。
道内には179の市町村があり、1位は、札幌市の191万3,545人 、2位は旭川市の34万7,095人、3位は函館市の27万9,127人で、人口の大多数は都市部に住んでいます。そして、人口の最も少ないのは音威子府村で、402人です。
5,000人以下の市町村は50自治体、3,000人以下の市町村は29自治体、10,000人以下の市町村は39自治体と、人口1万人以下の自治体が118団体と、全体の66%を占めています。
超高齢化、過疎化、人口減少が進む北海道において、いかにして基礎自治体、地域コミュニティーを守っていくのかというのが最大の課題と感じます。生半可な施策では、市町村の生き残りも、そこに生きる人々の生活も守ることはできないと思います。
今回の視察では、スポーツをキーワードに様々なお話を伺いましたが、「健康長寿」、「スポーツを通じた街づくり、地域活性化」と、言うのは簡単ですが、実際に北海道という広大な土地、厳しい冬の地にあって、具体的な施策を講じていくには多額の予算と人出が掛かります。
そうした課題にいかに挑んでいくのか、北海道人の気概を知るという意味でも、貴重な視察でもありました。