Ⅰ 視察目的
福岡県議会「民主党・県政クラブ県議団」は、今期(2015年4月~2019年3月)初となる管内視察を行いました。
今回の視察は、現在、日本政府・福岡県ならびに関係県市が「ユネスコ世界遺産登録」を進めている『明治日本の産業革命遺産』のうち、九州・山口遺産群のひとつである大牟田市の「三池港」、「三池炭鉱」。そして、「官営八幡製鉄所」(旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場 )を視察し、新年度予算審議を伴う『6月県議会』の代表質問に視察結果を活かすとともに、「ユネスコ世界遺産登録」を確かなものにするため、今後の活動強化を図ることにありました。
Ⅱ 視察概要
1.視察日程
5月19日(火)~20(水)
2.視察先
(1)5月19日(火)
①大牟田市「三池港」
②大牟田市「三池港」の「閘門」
③大牟田市「旧三池鉱業所」
④大牟田市「三池炭鉱・三川抗跡」
⑤大牟田市「三池炭鉱・宮原抗跡」
(2)5月20日(水)
①北九州市八幡東区「官営八幡製鐵所」跡
②中間市「遠賀川ポンプ場」
Ⅲ 視察報告
1.大牟田市「三池港」、「閘門」
代表取締役社長 谷川英徳氏最初に視察したのは、大牟田市の「三池港」と、「三池港」内にある「閘門」でした。なお、今回、「三池港物流株式会社」(代表取締役社長 谷川英徳氏)に「三池港」・「閘門」の説明と現地案内を頂きました。
(1)「三池港」(大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」ホームページ参照・引用)
三池港がつくられた有明海は、もともと遠浅の海で、干満の潮位差が最大5.5mにもなります。
三池港築港前の三川町(「三井三池各事業所写真帖」)大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」HPより干潮時には沖あい数kmにわたり干潟が出現し、そのため大型船の来航が難しく、三池炭の搬出は大牟田川河口から小型運搬船と艀(はしけ)により、対岸の長崎県島原半島南端の口之津港(南島原市)まで約70kmを海上運送し(まる1日間要する)、ここで積み替え人夫(最盛期には1,500名を超えたという)の手で大型船に積み込んでいました。
こうした課題を解決するため、大型船に直積みできる港を大牟田に構築することになりました。
1898(明治31)年5月、欧米視察の途に就いた團琢磨(三井鉱山合名会社専務理事)らは、ニューキャッスルやリバプールなど各地で港湾施設や積込方式を視察し、翌年帰国後、築港適地の選定調査にとりかかりました。 工事経過は、以下のとおりです。
- 同年10月、当時の三井家事業グループの本社にあたる三井商店理事会に築港計画案が出され、基本方針が決定され、1902(明治35)年5月に着工が承認。
- 同年11月3日、潮止めのための堤防構築工事から開始、1904(明治37)年5月に防波堤工事完成。
- 1905(明治38)年に「閘門」工事開始、1908(明治41)年3月末に渠内に入水して竣工。
- 1908(明治41)4月1日、新港は「三池港」と命名。6日には「勅令第76号」により開港場に指定。
「三池港」の築港工事には、延べ262万人の人が作業に係りました。こうして完成した「三池港」は、船渠(ドッグ)の広さ13万平方メートル、内港の広さ約50万平方メートル、航路の長さ1,830m、幅137mを測る、国内有数の港として開港しました。
港は、今日も築港当初と変わらぬ全景で、ハミングバード(ハチドリ)に似た形をしています。
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