Ⅲ 視察報告

1.大牟田市「三池港」、「閘門」

(2)「三池港・閘門」(大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」ホームページ参照・引用)

閘門1.jpg完成間近の三池港閘門。大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」HPより前述のとおり、有明海は、もともと遠浅の海で、干潮時には沖あい数kmにわたり干潟が出現し、大型明治時代の「三池港」全景と「閘門」.jpg明治時代の「三池港」全景と「閘門」船の来航が難しいところでした。したがって、この干潮時の船舶の往来と停泊をどうするかというのが現在の「三池港」全景と「閘門」.001.png現在の「三池港」全景と「閘門」港を作る時の最大の課題でした。そこで採用されたのが「閘門(こうもん)」方式でした。 
閘門を通過する汽船.jpg閘門を通過する汽船。大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」HPより「閘門」とは、港内の船溜まりの水位を確保するため、外海と港内とを仕切るための開閉門のことです。   
この「閘門」により、船溜まり(船渠内)の水位を干潮時でも8.5m以上に保つことができます。

「閘門」は、横幅20.12m、縦幅37.51mで、周辺は花崗岩が積み上げられ、底にも同質の石張りとなっています。これにより、船渠内では1万トン級の船舶の荷役が可能となりました。

「閘門」には、船渠側に観音開きとなる2枚の鋼鉄製の門扉がついており(1908(明治41)年2月23日据付)、扉は1枚の長さ12.17m、高さ8.84m、厚さ1.20m、重さ91.30トンを計り、英国テームズ・シビル・エンジニアリン グ社製で、扉の接するところは水漏れ防止のために南米から取り寄せたグリーンハートと呼ばれる船虫や水に強く堅くて沈む木材が使用されていました(現在はゴ ムとステンレスに変更)。

現「三池港物流株式会社」の説明では、この木材は一つは実際に「閘門」に使用され、もうひとつは予備のためということで二つ輸入(船便)されたそうです。

そして、この予備の木材をどのように備蓄するか考えた末、木材が乾燥して割れることを防ぐため、「三池港」内の一角に埋めたそうですが、100年後に掘り出されたところ、材としてなんら問題なかったそうです。

「閘門」の扉の開閉は、いまも建造された当初のまま、水流ポンプによって操作されています(駆動ベルトはコットンベルトからゴムベルトへ変更)。1952(昭和27)年と1983(昭和58)年に門扉の修理を行なっていますが、構造は当初の姿をよくとどめています。

また、「閘門」の両側には、大潮時の潮流緩和と、船舶の閘門通過を容易にする目的の補助水堰(スルースゲート)が今なお当時のまま利用されて います。 船渠内の係船岸壁は延べ421mで、1万トン級船舶3隻が同時に係留できます。

岸壁には、スキップ式(移動式)石炭船積機を2基(のちに3基となる)を設 置し、積込能力は1時間に250トンで、一昼夜5,000トンまで可能とされています。

この「三池港」完成前には、「三池炭鉱専用鉄道」が1905(明治38)年に「三池港」まで延長され、坑口(生産現場)から港(搬出所)まで連続した石炭運搬が可能となり、さらに関連して、倉庫や貯炭場が整備され、1908(明治41)年、「長崎税関三池税関支署」や「三井港倶楽部」などといった各種施設が建設され、港が整備されていったそうです。

旧「長崎税関三池税関支署.jpg旧「長崎税関三池税関支署」大牟田市「大牟田の近代化産業遺産」HPより

旧「三井港倶楽部」.jpg旧「三井港倶楽部」



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