Ⅲ 視察報告
6.「洞爺湖有珠山ジオパーク資料館」視察
次に訪れたのは、同じく「洞爺湖観光情報センター」3階にある「洞爺湖有珠山ジオパーク資料館」でした。
(1) 日本のジオパークの概要
世界の中でも日本の地質は複雑で、多様性に富んでいます。地震や火山に代表されるように、地球が「生きている」ことによる様々な現象が実感できます。すなわち、日本自体がジオパークとしての豊かな素性を備えていると言えます。
日本各地のジオパークを世界ジオパークネットワークのガイドラインに沿った質の高いものとするため、関係者相互の連携により調査研究及び情報収集を行うとともに、ジオパークに関する情報発信及び普及啓発を図るため、『日本ジオ パークネットワーク』が組織され、活動が行われています。
ユネスコの支援する「世界ジオパークネットワーク (GGN) 」が世界のジオパーク活動を推進しており、GGN 公認の「日本ジオパークネットワーク (JGN)」 が日本におけるジオパーク活動を推進しています。
「日本ジオパーク委員会」は、日本から GGN への推薦と日本ジオパーク認定を行う委員会 (事務局: 産業技術総合研究所)で、JGN と協力して日本におけるジオパーク活動を推進しています。
(2)日本のジオパーク
日本国内には現在、「ユネスコ世界ジオパーク」登録8地域(洞爺湖有珠山、アポイ岳、糸魚川、隠岐、山陰海岸、室戸、島原半島、阿蘇)と「日本ジオパーク」登録35地域があります。
そして、現在、ジオパークを目指している地域が16ヶ所(古関東深海盆、下北、出雲、蔵王、高山市、筑波山地域、北九州、浅間山、土佐清水、秋川流域、月山、鳥海山・飛島、萩、十勝岳山麓、三宅島、東三河)あり、福岡県内では北九州市が「日本ジオパーク」登録を目指して申請中です。
(3)「洞爺湖有珠山ジオパーク」
「洞爺湖有珠山ジオパーク」のエリアは、長い時間の中で徐々にその姿を変え続ける「変動する大地」です。
「洞爺湖有珠山ジオパーク」には、教育、ツーリズム、科学、自然、歴史、文化など、多種多様な価値を持つジオサイトがあり、特に「変動する大地」として、他では見ることのできない貴重な見どころが多いため、「世界ジオパーク」として認定されています。
変動する大地「洞爺湖有珠山ジオパーク」は、長い年月をかけて今の景観を生み出し、そして今後もまた変わり続けていく地域です。ここでは、ジオサイトをタイムスケールによっ9つの「テーマ」に分けています。
「ジオサイト」を見て感じることができる場所が「ジオポイント」です。ジオポイントには、そこから見ることができるジオサイトの解説看板が置かれたり、しばしば現地のガイドが案内をする場所になります。
ジオポイントの中には、環境保護や安全の観点から一般の立ち入りを規制している場所も一部にありますが、そこでは特別な許可を得て専門家やガイドが同行するツアーが開催されることもあり、参加者はより間近で貴重なサイトを感じることができます。
これらのジオポイントをつなぐ「トレイル(散策コース)」も数多く整備されています。散策したりサイクリングしたりしながら、洞爺湖有珠山ジオパークを体感することができるようになっています。
7.壮瞥町「道の駅そうべつ情報館i(アイ)」
今回の視察の最後は、有珠郡壮瞥町にある道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」でした。
(1) 道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」とは
「そうべつ情報館i(アイ)」館」 「そうべつ情報館i(アイ)」は、湖と火山と温泉の町・壮瞥町の総合情報発信基地ということです。
館内には特産のくだもの・野菜等の直売所のほか、観光情報案内(「エコミュージアム・観光情報館」)、火山とともに生きる町の歴史を知ることができる「火山防災学び館」が併設されています。
(2) 当日の対応者
- 有珠郡壮瞥町商工観光課 課長 齋藤 英俊
- 有珠郡壮瞥町教育委員会生涯学習課スポーツ振興係 係長 蛯名 雄一
(3)壮瞥町の紹介
壮瞥町は「そうべつちょう」と呼びます。アイヌ語で「滝の川」を意味する「ソーペツ」より転化し「そうべつ(壮瞥)」となったということです。
壮瞥町は、1879(明治12)年、岩手県人の移住により開拓の鍬が入れられ、郷土の建設が始まりました。
1899(明治32)年8月、西紋鼈・長流・有珠の3村から分離独立して、戸数346戸、人口1,304人(昭和54年発行の壮瞥町史より)をもって壮瞥村戸長役場が設置され、1939(昭和14)年4月、1級町村制施行、1962(昭和37)年1月、町村施行となり現在に至っています。現在の町の人口は2,647人(世帯数1,350戸)です。
町は北海道の南西部に位置し、東はオロフレ山系を境とし伊達市大滝区、白老町に接し、南部は登別市と伊達市に、また西は洞爺湖をはさんで洞爺湖町に接しています。
今回訪問した「そうべつ情報館i(アイ)」の正面には、有珠山と昭和新山が並んで正面に見えました。
(4) 「そうべつ情報館i(アイ)」の紹介
①1階特産品販売処
1階は特産のくだもの・野菜等の直売所となっており、壮瞥町特産のリンゴをはじめ、リンゴジュース「北国の雫」、りんごを発酵させて造られる発泡性アルコール飲料、炭酸入りリンゴジュースなど、リンゴの加工製品が所狭しと並んでいました。
また、地元ぶどうで作ったワイン、ぶどうジュース、ぶどうドーナツなど、ぶどうの加工品も多くありました。
②「火山防災学び館」
2階は「火山防災学び館」となっており、有珠山の実態や有珠山周辺地域の防災について学ぶことができます。
館内には望遠鏡も設置されており、天気の良い日は有珠山を観察する事が出来ます。
(5) 『昭和新山国際雪合戦』の歴史
町による「雪合戦」の説明 壮瞥町は人口2,647人の小さな町です。この町を一躍有名にしたのが「雪合戦」です。
夏、多くの観光客でにぎわう昭和新山も冬は人影もまばらな状況になり、停滞する閑散期の地域経済を活性化させることが壮瞥町の悲願であり、大きな課題でした。
そこで、「冬の壮瞥町を暗く閉ざす『雪』を活用し、全く新しい地域づくりに挑戦しよう」ということで、町民たちの中に地域の現状と課題を認識し、知恵と汗を結集する動きが高まり、「地域活性化の手法として、まず中核となるイベントを創ろう!」ということで、1987年8月、若者グループ(商業・観光・農業・公務員)が立ち上がり、「アイディア検討会」が結成されました。
スキーマラソンをはじめ数々のアイデアが検討されましたが、いずれも既に各地で実施されており決定打とはならなりませんでした。
議論が空転する日々でしたが、同年12月、東南アジアからの観光客が雪と遊ぶ姿をヒントに、「昔の雪遊びの楽しさを現代に再生しよう」と〝雪合戦をイベント化〟するアイデアが浮上し、『昭和新山国際雪合戦』が産声をあげました。
1988年に「ルール制定委員会」発足し、同年12月6日「 雪合戦ルール」が完成しました。翌89年に雪球製造器・雪合戦ヘルメットが完成、89年2月25~26日に「 第1回昭和新山国際雪合戦」が開催され、70チームの参加を見ることが出来ました。
91年にオーストラリアで国外初のイベントが開催され、93年に「日本雪合戦連盟」が 設立。95年には海外初となるフィンランド連盟発足。以後、97年ノルウェー、2006年ロシア、07年オーストラリア、08年オランダ、09年スウェーデン、11年カナダ・アメリカ、12年ベルギーで大会が開催され、国際連盟も発足しました。11年には「日本雪合戦連盟」が一般社団法人化、13年には「国際雪合戦連合」も発足しています。
(6) 壮瞥町の「スポーツを通じたまちづくり」
スポーツ振興によるまちづくり 壮瞥町は『昭和新山国際雪合戦』を町の生き残りと活性化とし、知名度アップと観光客の誘致につなげていきました。
大会期間中、壮瞥町には26,000人の参加者(選手1,500人、監督・スタッフ、観光客が24,500人)が訪れ、大変な賑わいになるそうです。
大会運営費は2,000万円/年で、これはスポンサー料を含めたもので、町の手出しを極力抑える努力が続けられています。
また、町民挙げて雪合戦を盛り上げようと、それこそボランティア、手弁当で大会運営に参加されます。そして、大会運営はもとより、町を訪れた人々を〝おもてなし〟することに最大限の力を注いでいます。
地元産の食材を使った「おもてなし料理」をはじめ、地場産品の紹介や販売、町の観光案内など、それこそ町ぐるみで訪問客をおもてなしするそうです。
加えて、『大会には出れないけれどスポーツ雪合戦を体験してみたい!』という方には、ガイド・審判付き体験プランも用意されており、「雪合戦と言えば壮瞥町」といわれるほどその認知度も上がってきており、壮瞥町の冬の風物詩、冬の観光の目玉となっています。
今後も、壮瞥町はこの『昭和新山国際雪合戦』を通じて、スポーツを通じた街づくり、そして町の活性化を図ろうとしています。
(7) まとめ
「国際雪合戦」というのは、テレビや雑誌で見分していて「おもしろそうだなぁ」という感想くらししかなかったのですが、実際に現地の町を訪問して思ったのは、「町の生き残りのためにはこれしかない!」という町民の決意をひしひしと感じるとともに、まさに、町の生き残りを懸けた〝一点突破〟というものでした。
北の湖関は同町の出身で、町には「北の湖記念館」がありますが、観光客を呼び込むほどにはなく、冬、雪に閉ざされた時期、この地に観光客を呼び込むには、ある意味、『昭和新山国際雪合戦』というのは大当たりだったと思います。
この「雪合戦」、冬季五輪の種目にはならないかもしれませんが、是非、国際的な催しとして、国内外から多くの参加者や観光客が訪れるのを期待します。
8.北海道伊達市「日本一長い高速道路の橋」
北海道伊達市「長流川橋」 壮瞥町から「新千歳空港」に向かう途中、「高速道路の橋としては日本最長の橋」である「長流川橋」(おさるがわばし)を見ることが出来ました。
道路の橋として日本最長距離を誇る橋は「東京湾アクアライン」が知られていますが、「アクアブリッジ」といわれる橋の長さは4.4kmあり、日本一位の長さの橋梁です。しかし、日本一長い高速道路の橋と言えば、この「長流川橋」となるそうです。
「長流川橋」は北海道伊達市に位置し、道央自動車道の伊達IC~虻田洞爺湖IC間にある橋で、その長さは1772.5mで、高速道路橋梁として日本最長を誇っています。
その雄姿はさすが北海道という感じでした。