Ⅱ.視察報告

4.9月3日:「男鹿半島ジオパーク」

 二日目、二か所目の視察は「男鹿半島ジオパーク」でした。 

(1)ジオパークの説明
①ジオパークとは
 「日本ジオパークネットワーク」(http://www.geopark.jp/about/)の説明では、ジオパークとは、ジオ(地球)に関わるさまざまな自然遺産、たとえば、地層・岩石・地形・火山・断層などを含む自然豊かな「公園」のことをいい、山や川をよく見て、その成り立ちに気付くことに始まり、生態系や人々の暮らしとのかかわりまでをつなげて考える場所です。

 足元の岩石から頭上の宇宙まで、数十億年の過去から未来まで、海や山の大自然からそこに暮らす生き物と人々までを一つにして考える。つまり地球を丸ごと考える場所をジオパークといいます。

 世界の中でも日本の地質は複雑で、多様性に富んでいます。地震や火山に代表されるように、地球が「生きている」ことによる様々な現象が実感できます。すなわち、日本自体がジオパークとしての豊かな素性を備えているのです。

②日本のジオパーク
 日本国内には現在、「世界ジオパーク」登録7地域(洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸、隠岐、阿蘇)と「日本ジオパーク」登録が北海道内5地域(洞爺湖有珠山、アポイ岳、白滝、三笠、とかち鹿追)を含む36地域が認定されています。(※2014年12月現在) 

1)世界ジオパーク - 7地域
 洞爺湖有珠山、糸魚川、山陰海岸、島原半島、室戸、隠岐、阿蘇

2)日本ジオパーク - 32地域
 アポイ岳、南アルプス、恐竜渓谷ふくい勝山、白滝、伊豆大島、霧島、男鹿半島・大潟、磐悌山、茨城県北、下仁田、秩父、白山手取川、八峰白神、ゆざわ、銚子、箱根、伊豆半島、三笠、三陸、佐渡、四国西予、おおいた姫島、おおいた豊後大野、桜島・錦江湾、とかち鹿追、立山黒部、南紀熊野、天草、苗場山麓、栗駒山麓、美祢、三島村・鬼界カルデラ

3)ジオパークを目指す地域 - 16地域
 古関東深海盆、下北、いづも、蔵王、高山市、筑波山地域、北九州、浅間山、土佐清水、秋川流域、月山、鳥海山・飛島、萩、十勝岳山麓、三宅島、東三河


(2) 「男鹿半島ジオパーク」http://www.geopark.jp/geopark/oga_ogata/index.html
 前述の「日本ジオパークネットワーク」ホームページに「男鹿半島ジオパーク」を詳しく説明されていますので、以下にそれを引用します。
男鹿半島・大潟ジオパーク位置図.jpg男鹿半島・大潟ジオパーク位置図
①男鹿半島・大潟ジオパークは、秋田県沿岸部のほぼ中央、北緯40度線をまたぐ位置にあり、グリーンタフをはじめとした日本海沿岸地帯の標準層序を有し、男鹿半島・日本海の形成を含む、7000万年の大地のドラマを雄弁に物語っています。

 第四紀における大きな地殻変動(マグマ活動、地盤変動)により災害を繰り返し受けており、災害の記憶が多くの慰霊碑や記念碑として地域に残されているなどの特徴を有しています。

 また、地域内には、男鹿国定公園、国指定大潟草原鳥獣保護区などに代表される豊かな自然環境があり、多様な生態系がみられます。

 さらに、疲れた身体を癒す温泉と水量豊かな湧水群、男鹿のナマハゲに代表される文化財や八郎太郎伝説、新鮮な魚介類や米、野菜、果物など、豊富な地域資源があり、当地域は「大地の物語、大地とひとの物語、大地の恵みの物語と出会う場所」をテーマとされており、大地・環境・人間との深い関わりを多様な角度から実感できる地域となっています。

②おもな見どころは、
男鹿半島ジオパークのエリア説明.jpg男鹿半島ジオパークのエリア説明1)「赤島・入道崎」:男鹿半島最古、日本海がまだなかった頃の火山噴出物

2)「加茂青砂」:約3000年前の流紋岩と海食洞、津波災害慰霊碑

3)「八望台」:新しい地質時代(第四紀)の3タイプの火山

4)「潮瀬崎」:約3000万年前の火砕流とそれを貫くマグマの通り道

5)「西黒沢海岸」:日本海ができたばかりのころの浅い海の地層

6)「鵜ノ崎海岸」:日本海がもっとも広かった頃の地層

7)「安田海岸」:最近約50万年間の環境変動、地殻変動、大規模火山活動

8)「寒風山」:眺望にすぐれた成層火山

9)「大潟村」:人工の大地と八郎潟の記憶

このうち、今回は男鹿半島の西側の海岸線に沿って、BコースとAコースを視察しました。

(3) 「男鹿ジオパーク」視察
①一つ目の視察ポイントは「潮瀬崎」海岸線でした。ここは、観光でも有名な「ゴジラ岩」があるところで、県内外から多くの人が訪れるそうです。

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 「潮瀬崎」海岸線一帯は、平らな地形になっており、そこに大小様々な岩が立ち並んでいます。
 「ゴジラ岩」もその一つです。これらをつくっているのは、主に火山礫凝灰岩で、火山の噴出物です。火山礫凝灰岩層の下には、白っぽい泥岩の地層があります。地層の境界は、普通、平らなのですが、ここでは境界が曲がっていたり、下の泥岩が上の層に食い込んだりしている様子を見ることができます。マグマがほぼ水平に入り込んで冷え固まった岩床も見ることができます。岩床の上の方には、数本の岩脈も伸びています。

②二か所目のAコースは「入道崎〜西海岸コース」で、ここは漁船に乗り、海から男鹿半島の地形を見る視察でした。

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 「入道崎」は、男鹿半島で最も古い岩石からなる地域で、7,000万年前の火山噴出物や、さらに古い、恐竜がいた時代(9,000万年前)にできた花こう岩も見られます。

 「入道崎」一帯の崖は、火山から噴出した高温の火山灰や火山礫などが陸上に堆積してできた溶結凝灰岩が見られます。濃い緑色をしており、ピンク色の礫をたくさん含んでいます。ピンクの礫は、マグマが地下から上ってくるときに、その通り道にあった花こう岩を壊し取り込んできたものです。

 そして、「入道崎」の溶結凝灰岩が崩れて、波の力で磨かれたものが、男鹿の名物「石焼料理」に使われています。

(4) 「男鹿半島」は、秋田名物の〝なまはげ〟発祥地
①〝なまはげ〟の由来(男鹿のなまはげ http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/namahage.htm
 〝なまはげ〟の由来については、囲炉裏(いろり)にあったてばかりいる、怠け者の手足にできた低温火傷を火斑(ナモミ)と いい、そのナモミを剥いて懲らしめ、真面目な人間にしてやるという意味で「ナモミ剥げ」となり、それがなまって「なまはげ」になったといわれています。

 〝なまはげ〟が「悪い子はいねえがぁ〜」と叫ぶのは、「怠け者(の子ども)はいないか」という意味で、怠け者(の子ども)を改心させるためなんですね。 

 また、〝なまはげ〟はこうした怠け者を懲らしめるだけでなく、〝なまはげ〟の装束であるケデから落ちた藁くずは無病息災の護符ともされています。つまり、〝なまはげ〟が神聖なものであるという信仰がそこに強く現れているとみられます。なお、こうした深い信仰に支えられた〝なまはげ〟は、1978年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

②なぜ「男鹿半島」に鬼が?
 「男鹿半島」には、〝なまはげ〟の元となっている鬼伝説があります。
 それは、およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わり、武帝は5匹の鬼たちを家来として使いました。そこで、1年に一度、正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。

男鹿半島01.jpg「男鹿なび」ネットより 困った村人たいちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。

 鬼たちは精魂を尽くして積み上げ、あと一段、正に完成寸前という男鹿半島02.jpg「男鹿なび」ネットよりところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声! 鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。

 この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われています。

 鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、〝なまはげ〟の始まりだと言われています。

 今回のBコースの視察後、Aコースに向かう途中、船川港本山門前を通った際、山腹に「赤神神社五社堂」があると説明を受けました。この神社の入り口には、言い伝え通り、鬼が築き上げたという999段の石段があるそうです。祀られているのは5匹の鬼で、両親と子供3人の祠だと伝えられています。

(5) まとめ
 今回、「男鹿半島」を初めて訪れましたが、自然豊かな情景、風光明媚な地形、興味を惹く伝統、美味しい海山幸、温かい人々の心など、どれも新鮮で、有意義な視察となりました。

 中でも、「男鹿半島」の自然は雄大で、各地に古の姿がそのまま残っています。こうした貴重な自然はまさに日本の遺産でもあります。自然遺産登録されているか否かではなく、太古から続く自然は、この後もしっかり残していくべきだと感じました。

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