Ⅱ.視察報告

6.秋田県立「秋田美術館」

秋田美術館01.jpg 今回、最後の視察先は秋田県立「秋田美術館」でした。
 同館の基本コンセプトは、「公益財団法人平野政吉美術財団」が所有する藤田嗣治氏の作品展示を基本に、県民が身近に芸術を楽しみ、文化を育むことにより、秋田の街、秋田美術館02.jpg人、文化の創造と共生を目指すとしています。

(1) 現地対応者

  • 館長  平野 庫太郎 氏
  • 秋田県教育庁生涯学習課調整企画・学芸振興班 学芸主任  長谷川 工 氏

(2) 「秋田美術館」の概要
①現在の美術館は、1967年に開館した「旧秋田県立美術館」を前身としています。なお、この旧美術館は、現在の美術館の正面にある「千秋公園」の中にあります。今後は、秋田市に移譲される予定だそうです。

 現在の美術館は「公益財団法人平野政吉美術財団」が管理運営(指定管理者)しています。というのも、「秋田美術館」は藤田嗣治氏の作品展示を基本に造られたもので、いわば「藤田嗣治ミュージアム」そのものだからです。

②「平野政吉美術財団」の元となった平野政吉氏は、江戸時代から続く米穀商の子息で、その経済力から国内外の美術品を購入し続けました。そして、平尾氏が所有した藤田嗣治氏の作品は101点に上ります。

 「秋田美術館」の最大のウリである大壁画「秋田の行事」は、藤田氏が平野氏の求めに応じて作成したもので、縦3.65m、横20.5mの大きさで、制作当時、世界一と言われました。

 藤田氏はこの壁画を僅か15日で一気に描き上げ、完成後、「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」、「4百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」と興奮し、語っていたと伝えられています。

 平野氏は、藤田氏に当時の金額で50万円支払ったといわれていますが、当時、家が100軒建つほどのお金であったそうです。

 しかし、平野氏は戦後の農地改革で多くの資産を失いましたが、その生涯をかけ、全財力を費やし、レオナール・フジタ(藤田嗣治)作品を始めとした貴重な美術品を収集したものを展示するため、「平野政吉美術館」建設しました。秋田の地に収集した作品を恒久に保存、展示するためと言われています。

③「秋田美術館」は、その「平野政吉美術館」を引き継ぐ形で建設されました。
 1階はエントランスホール、県民ギャラリーがあり、正面入り口の大きな螺旋階段が特徴です。

 2階は藤田嗣治ギャラリー(作品展示室)、3階は常設ギャラリーですが、同館最大の呼び物である藤田嗣治氏の「秋田の行事」は2階と3階吹き抜けの展示室に飾られています。

(3) 「秋田美術館」の特徴
秋田美術館03.jpg①藤田嗣治氏の作品展示
 同館のメインは、世界的な画家藤田嗣治氏が、1937年当時の秋田を描いた大壁画「秋田の行事」の展示です。更に、「平野政吉美術財団」が所蔵する藤田氏の作品展示が基本となっています。

②建物
 同館の最大の特徴は、安藤忠雄氏の設計者による三角形をモチーフとした建物と、デザインです。建物の外観や、正面玄関はコンクリートがむき出しの無機質な感じがします。

 ところが、入り口正面の大きな螺旋階段を上ると、そこには大きなガラス窓があり、水庭越しに「千秋公園」の美しい風景が飛び込んできます。二階の水庭とは、今までに見たことのない風景でした。

 その解放感あるラウンジは、コーヒーを飲みながら、のんびりと外を眺めていたくなるほど、素晴らしい創りでした。

秋田美術館04.jpg

秋田美術館05.jpg

 また、同じ階にあるギャラリーは蛍光灯が三角形に配置され、外からの自然光も取りれることができる、明るく、解放感ある空間となっています。

(4) まとめ
 「秋田美術館」は藤田嗣治氏の作品展示を基本に造られたもので、「藤田嗣治ミュージアム」そのものです。したがって、国内外から藤田嗣治氏の作品を見たいという方を魅了するには申し分ありません。

 しかし、果たして、どれくらいリピーターがいるのか、気になるところです。秋田県・市という土地柄、気軽に来られる、足を延ばせるというわけにはいきません。したがって、リピーターの確保はたやすいものではないと思います。いかに秋田県民、東北の方々に来て頂くか、それが課題だと思います。

 「藤田嗣治ミュージアム」を県立で運営するというためにも、県民ギャラリーの活用、とりわけ地元県民の来館者の増加が必要だと感じました。

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