Ⅲ 視察報告

5.「プランバナン寺院群」視察

7月29日、2ヵ所目の視察先は「プランバナン寺院群」でした。

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プランバナン寺院群02.jpg 当日は、ジャカルタから国内線で、ジョグジャカルタへと移動しました。

 ジョグジャカルタは、ジャカルタから空路で東に60分ほどのところにある都市で、王宮都市として栄えた都です。

 古来から仏教やヒンドゥー教との融合が進み、王宮文化、遺跡が数多く残る年です。また、オランダ植民地支配時代の街並みも残るなど、古来から近年までの都市空間が融合した都市でもあります。

(1) 「プランバナン寺院群」の概要
 「プランバナン寺院群」の概要については、以下、「インドネシア寺院遺跡群日本語公式ホームページ」から一部引用させて頂きました(http://www.borobudurpark.jp/prambanan.html)。

 「プランバナン遺跡群」は、そのヒンズー教寺院群の高い尖塔の建築様式に表わされるように、東南アジアの宗教建築の中でも最も優れた作品の一つといわれており、1991年「ユネスコ世界遺産」に登録されました。

プランバナン寺院群04.jpg 中でも、今回訪問した「プランバナン寺院群」は「プランバナン遺跡群」の中心的かつ象徴的な場所として、世界中から数多くの観光客が訪れる場所です。

 「プランバナン寺院群」は、マタラム王国サンジャヤ朝のラカイ・ピカタン王またはバリトゥン・マハ・サンブ王によって9世紀終わりから10世紀初頭の間に着工したと推定され、その多くが基壇の上に建てられています。それはシャイレーンドラ王朝の仏教遺跡「ボロブドゥール」に対抗して建立されたと言われています。

 代々マタラム王によってその基壇が拡張されて、中央の寺院の周囲に何百ものプルワラ(小祠堂)が追加されました。「プランバナン」はマタラム王室によって宗教儀式や供犠に利用されていたものです。

 世界遺産「プランナバン寺院群」は、約5km四方にわたっていくつもの遺跡が点在しており、9世紀頃にマタラム王朝によって建てられた壮麗なヒンドゥー教寺院です。

プランバナン寺院群03.jpg 遺跡群の中心部「ロロ・ジョグラン寺院」の中にはシヴァ神、妃の女神ドゥルーガ、息子ガネーシャなどが収められ、回廊にはインド二大叙情詩「ラーマヤナ」と「マハーバーラタ」の物語が彫られたレリーフを見ることができます。

 天を突き刺すようにそびえ建ついくつもの寺院は、ヒンドゥー教美術文化の象徴ともいわれています。

(2) 「プランバナン寺院群」の視察
 「プランバナン寺院群」はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡の「ポロブドール遺跡群」と共にジャワの建築の最高傑作の一つとされます。

 「プランバナン寺院群」の建造は856年、サンジャヤ朝・古マタラム王国のピカタン王によって始まり、907年にバリトゥン王によって完成されたといわれています。

 しかし、ここが寺院として使われた期間は半世紀もなく、10世紀前半に王国の都はジャワ島東部の「クディリ」に移され、「プランバナン」は見捨てられてしまいます。その原因は、「ムラピ山」の噴火とも、伝染病の流行ともいわれていますが、定かではありません。

 14~15世紀になるとジャワ島のイスラム教化が進み、ヒンドゥー教徒は1割を切るまでに減ってしまいます。こうして人々の記憶から消え去っってしまいます。

プランバナン寺院群05.jpg そして、「プランナバン寺院群」が完全に破壊されるのは1549年のことです。それは、ジャワ島を襲った大地震によるもので、多くの建造物は倒壊し、瓦礫の山と化してしまいました。現在も寺院群周辺に残るおびただしい残骸が、その名残だそうです。

 その後、1930年代になるとここの中心的な寺院である「ロロ・ジョングラン」の復元がはじまり、プラットフォーム上に8基のお堂が再建されました。といってもいまだ完成には遠く、周辺にあった256基の小堂はほとんど手がつけられていません。
 更に、インドネシア政府により1937年から遺産の修復作業が本格的に行われています。

 しかし、2006年に「ジャワ島中部地震」、2010年に「ムラピ山の大噴火」に見舞われ、再びダメージを受けて、更なる修復の作業が必要となっています。

(3) まとめ
 「プランバナン寺院群」の正面に立つと、目の前に寺院群がそびえ立ち、その威厳ある姿に圧倒されました。天を突き刺すかのようにそびえ立つ石造りの寺院は、堅牢でありながらも繊細で、しかも華麗・美麗であり、凛として佇むその姿に感動しました。

 しかし、残念ながら、全体の修復はまだまだで、周辺にはおびただしいほどの瓦礫が積まれたままです。

 これらの瓦礫を積み重ね、全体を修復するにはあと何年かかるか、そのための予算をどうするか、気の遠くなる思いでした。

 悠久の彼方より、人類の偉大なる英知と努力で積み上げ、残してきた遺跡が、このままの状態で放置させるわけにはいきません。修復するために私たちにできることは何か、深く考えさせられた視察でした。

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