Ⅲ 視察報告

7.「ボロブドゥール遺跡」視察

 7月30日、2ヵ所目の視察先は「ボロブドゥール遺跡」でした。

(1) 「ボロブドゥール遺跡」の概要
 「ボロブドゥール遺跡」の概要については、以下、「インドネシア寺院遺跡群日本語公式ホームページ」(http://www.borobudurpark.jp/prambanan.html)ならびに「ウイキペディア」から一部引用させて頂きました(https://ja.wikipedia.org/wiki/

 世界最大の仏教遺跡である「ボロブドゥール遺跡」は、世界七不思議のリストにたびたび登場します。この遺跡は、仏教がインドから遥かインド洋を渡ってジャワ島に伝来し、神秘的なブッダの世界をいまに伝えています。神秘と謎に包まれた遺跡とも言われています。

 遺跡は、ジャワ島中部、ジョグジャカルタの北西約42kmに所在し、巨大なムラピ火山などの山々に囲まれた密林の中央に立地しています。遺跡総面積はおよそ1.5万m2。高さはもともと42mあったそうですが、現在は破損して33.5mになっているそうです。

ボロブドゥール遺跡01.jpg 「ボロブドゥール寺院」は西暦750~842年(日本の平安京時代)の間、「シャイレーンドラ王朝」によって仏教理論の多層を表現するために、丘陵に岩石を積み上げて作られたピラミッド構造の寺院です。他の世界的な宗教的建造物と比較してみても、カンボジアの「アンコールワット」建立よりも約300年、「ヨーロッパ大聖堂」の着工より約400年も早く完成していました。

 しかし、ムラピ火山の噴火により、建設後1,000年以上も間、火山灰に埋もれ、密林の中で眠っていました。

 その後、1814年に英国人のトーマス・ラッフルズ(当時ジャワ総督代理)とオランダ人技師コルネリウスによって森のなかで発見され、その一部が発掘されました。

 1851年から1854年にかけての第2次調査では、壁面のレリーフのほとんどが現れ、1885年の発掘調査の際には、土台の内壁に、人間のあらゆる欲望を描いた160面のレリーフが現れました。しかし、崩落の危険性があるため、埋め戻され、再び覆い隠されることとなりました。

 そして、1900年にはオランダ政府によって発掘調査委員会が組織され、1907年には写真記録がおこなわれています。また、1907年から1911年にかけてはオランダ人技師ファン・エルプによって復原工事がおこなわれています。

ボロブドゥール遺跡02.jpg インドネシア独立後の1960年代初頭には、遺跡は崩壊寸前の危機にあったが、地盤沈下による壁と床の傾斜、ムラピ火山の噴火後の構造破壊を防ぐ目的で、ユネスコ主導のもと1973年から10年の歳月と2,000万ドルの費用をかけて修復工事がおこなわれ、1982年に完了しています。

ボロブドゥール遺跡03.jpg その際、水による浸食を防ぐため排水路を設ける必要が生まれたため方形壇部分をいったん全部解体し、石のひとつひとつにナンバリングを施し、コンピューター管理が行われています。なお、この修復事業には日本をはじめ、27か国が資金協力をおこなっています。

 また、1980年からは日本が技術協力をおこない、「ボロブドゥール」と「プランバナン寺院群」の2大遺跡とその周辺を歴史公園として整備し、文化遺産を保護しながら、観光と地域振興を図る計画が実施に移され、現在に至っています。

 その後、1991年「ユネスコ世界文化遺産」に登録され、現在では世界中の人々が集まる観光地となっています。

(2) 「ボロブドゥール遺跡」視察
ボロブドゥール遺跡04.jpgボロブドゥール遺跡05.jpg 「ボロブドゥール遺跡群」は、ムラピ火山の噴火により、建設後1,000年以上も間、火山灰に埋もれ、密林の中で眠っていたということですが、いまでは整備され、世界中から観光客が集まる名所となっており、そうした過去は想像することはできません。

ボロブドゥール遺跡06.jpg かつて密林だったということは、正面回廊の辺りを見てかろうじて推測できるくらいです。

 正面回廊の階段を上ると、目の前に城壁かと思えるほどの堅牢かつ威厳の佇まいを持つ寺院が目の前に飛び込んできます。

目の前に見える部分は、一辺が約115mの屈折した方形の基壇で、寺院の一番下の部分で、寺院の入り口にあたります。

 そして、その基壇の上には、基壇と相似形をなし、やはり屈折した5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層のピラミッド状の構造です。

ボロブドゥール遺跡07.jpg この構造は、仏教における「三界」をあらわしていると言われています。最下層が欲望界で、人々の堕落した姿が彫り込まれています。
 上にいくにつれ色界、無色界となり、そして最上層は天上界が意味されています。

 なお、それぞれの高さの比は 2 : 3 を基調とし、全体で 4 : 6 : 9 の比によって構成されているそうです。

 5層の方形壇の縁は壁になっていて、各層に幅2mの露天の回廊がめぐらされています。方形壇の四面中央には階段が設けられており、円形壇まで登れるようになっています。

ボロブドゥール遺跡08.jpg 各層の回廊の壁には大乗仏教の教えに 基づく釈迦誕生図などの物語がレリ-フで描かれており、これらを見ながら天上界に上っていくと、悟りの道が開けるとされています。→

 最上段に上ると、中央にボロブドゥール遺跡09.jpg釈迦の遺骨を納めたとされる巨大な「ストゥーパ」(仏舎利塔)があり、その周りには3層の円形にストゥーバが全部で72基、規則的に並んでいます。「ストゥーパ」(仏舎利塔)には仏像が安置されているとのことです。ボロブドゥール遺跡10.jpg

 なお、この最上段の「ストゥーパ」を時計回りに3周してお祈りをすると願いが叶うということで、私も回ってきました。 



(3)まとめ
 うわさに聞く「ボロブドゥール寺院」でしたが、実際に現地に行くと、まずその規模の大きさに圧倒されます。そして、壁に掘られた精緻なレリーフ、これが9層すべての壁に彫り込まれており、人間の英知にただただ敬服しました。

 現在でも、「ボロブドゥール寺院」は謎が多く、研究者にとっては永久の研究対象になるかもしれません。

 ただ、残念なのは、インドネシアがオランダの植民地であり、「ボロブドゥール寺院」群の発掘調査もオランダ政府によって進められた関係上、遺跡の貴重な仏像がオランダに収奪されているということです。

 特に、美しい仏像、貴重な仏像の多くがオランダ人によって持ち帰られており、中には仏像の首から上を切り取り、頭の部分だけ持ち帰られたものも多くあるそうです。

 インドネシア政府は、こうした現状に鑑み、オランダ政府に収奪した仏像の返還を求めていますが、戻してもらってないそうです。

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